●カナダにおける創立:1912年






  2015.12
カナダ管区:本部修道院新築完成
 

カナダ管区:Rivière du Loup
(リヴィエール・デュ・ルウ)
到着100周年



 カナダ管区:Rivière du Loup(リヴィエール・デュ・ルウ) 到着100周年を祝う記念式典が、ショファイユの幼きイエズス修道会:カナダ管区本部修道院において荘厳に執り行われました。フランスの総本部をはじめ、各管区、各地区からの会員代表メンバー(日本管区から3名)が参列しました。式典は、はじめに、「100年のいのちを祝うミサ」 が近隣教会で盛大に行われ、祈りとともに歴史をたどり、これまでの歩みが神の道、いのちへの道、恵みの道であったことを確かめ合いながら喜びと感謝を参列者一同共有することができました。また、これからの新たな歩みを神が豊かに祝福してくださるよう祈りを込めました。














































2015.12.カナダ管区:本部修道院新築完成

 セント・ローレンス側から見た修道院  資料室・事務室  資料室・事務室
 食堂  チャペル内部
   個室  修道院正面

コミュノテ

コミュノテ
かつての管区本部修道院の建物は
「レーヌ・アンティエの家」と名付けられ有料老人ホームとなる









日本の皆さん Bonjour!
2013.8.20


カナダ宣教開始100周年






日本管区より代表者訪問(7月~8月)




カナダ北岸巡礼

 Sept-iles は、ケベックで太陽が3番目に豊かな町でる。(Rigaud とBreboeuf の次)。 St-Laurentの北岸の広い領土は、ケベック教区の源泉の一部であった。続いてこの地区は、Rimouski教区のJean Langevin司教の司牧責任のもとに置かれ、
1882年には、再構成の計画が受け入れられ、北岸は、Golf St-Laurentの教皇代牧区として設立された。ユード会が1903年に教区の責任を引き受け、Gustave Blanche 師がこの広範囲に及ぶ教皇代牧区の責任者となる。 

 1905年に師は司教に叙階され、それ以来、1916年の死の時まで、Golfe St-Laurentの教皇代牧としての任を果した。Sept-ilesの歴史は、特に、土着民族の要素とヨーロッパ的なケベックの要素を持つ二つの文化の出会いによって特徴付けられている。漁業、続いて鉱業、営林、アルミニューム製造の発達に伴い、移住して来たすべての人は、定住の地として沿岸を選び、今日見ているように、この町を経済的、社会的、文化的な中心地とした。北岸は、偉業の足跡を現在も保存しており、その証拠となる種々の場が残っている。S?ur AnneGiasson とS?ur Helene Giasson の住まいは ≪ Levesque Electrique ≫ の敷地、 Arnaud 通り484番にある。
(巡礼パンフレットより)




Rivière-au-Tonnerre の歴史

  ケベックの町の約600キロメートル東に位置するRiviere-au-Tonnerre とノルマンディ様式の教会、数キロメートルに及ぶ海岸と萎縮した木々や沼炭地の風景が、北岸の村々の中で最も美しい村の一つを構成している。この村の名は、落水の力が強い河の名からきている。この村の最初の住民は、Gaspesie, Baie-des-Chaleurs, Iles-de-la-Madeleine の漁師たちで、漁業の豊かな場と、魚が身を守るための隠れ場を知っていた。彼らは、19世紀にこの地に住み着いた。その家族の名は、Leblanc, Lebrun, Boudreau,Duguay, Cormierなどであった。
 
1850年に3家族がRiviere-au-Tonnerreに住んでおり、1871年には14の家族になり、大人33人、子供が32人いた。 
1895年に、Henri Meunier 氏が Anticosti 島の所有者になった時、彼は住民に新しい生活条件を押し付けた。現地のすべての家と耕地を買い、誰をも追い出さなかった。しかし、全員が彼に服従する臣下となり、新しい「王」に年額を払うことになった。 かつての自由に心を奪われていたBezeau、Dignard、les Noel 家を含めた 15の家族が Riviere-au-Tonnerre に移住した。 この村は、人々から長期間離れており、1948年までラジオもテレビも街道もなかった。1948年に、Riviere-au-Tonnerre まで電線がひかれた。

  北岸で最も美しい一つの教会の建築が1908年に始まったのは驚くことではない。その装飾はナイフでの彫刻であった。
1951年には住民の数は618人になった。 その起源から、この村のすべての経済活動は漁業に繋がっていた。1975年から
1985年まで、Riviere-au-Tonnerre は蟹の中心地となっていた。経営難のため、1988年には魚の加工工場の閉鎖へと導かれた。しかし、今日においても、日本人が大好きな蟹の捕獲は続いている。現在の人口は約350人で、その子供たちの都会への集団移住は続いているが、筆舌に尽くせないこの魅力は残っている。一種のメランコリーであり、果てしない思いであり、ケベックの他の場所にはどこにももう見られない心静かな美しさである。もちろん、海・・・もある。
(巡礼パンフレットより)





カナダ:支部訪問





カナダ本部修道院訪問







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ケベック:セント・ローレンス河の眺め